ねむりても旅の花火の胸にひらく

ねむりても旅の花火の胸にひらく 

大野林火


小さい頃家族と親戚で旅行に行って熱海の花火を見たことがあるんですけど、旅先の花火って特別感がすごいですよね。ただでさえ旅行って非日常でワクワクしてるところに、これも非日常、季節限定イベントの花火を見られたらますますテンション上がりますよね。そんで旅行だからいつもより夜遅くまでおしゃべりしたりお菓子食べたりして、やっと布団に入る。みんな寝ちゃったんだけど自分はまだ興奮冷めやらぬ的な気分で眠れないからしばらく静かにしてると、さっきまで見てた花火が思い出されて、ああ遠くまで来たなあとか、きっとこの花火は一生忘れまいとかいろいろ思って、感動するような、切ないような、今自分がかけがえのない時間の中を過ごしてることを実感して、旅先の慣れない布団の匂いや高さの合わない枕や見慣れない天井の木目など全部がとても愛おしくなるかんじ…わかる……!!


「ねむりても」の「も」のおかげで、たとえば誰かと一緒に花火を見た後、他の話をしたりお風呂入ったり食事に行ったりしていても、気持ちの根底にはずっと花火が反芻されていて、旅の一番の思い出になっていることが自然に伝わってきます。

「胸にひらく」という言い方からも、自分と対峙したあの時の花火、それがそのままの形で語り手の心に残ってるんだな~~と感じられる。読んだだけで語り手の感動を追体験できる、ものすごい再現性の高い作品です。しかも、花火を見るシーンじゃなくて、さっき見た花火を反芻した時に心に浮かんでくる映像をイメージさせてくるからすごい…特別な旅情、糊のきいたシーツに裸足で触れた時の感触、豆電球でうすぼんやりした旅館の部屋の匂いまで思い起こされて、ウオオオオオオオオオン旅行いきてええええええええええと思わずにいられねえ!!!!


さらに、作者の大野さん自身が、

「四月初め、舞鶴への旅の途次……宴果てたころ、誰かが花火の音をつげた。これも永い戦争で忘れていたものだ。(略)花火は田畑をへだて、豊橋の方に見えた。心底から美しいと思い、昂奮した。それは就寝してからもつづいた。まだ遠く聞える花火の音のするたび、私の胸の上に花火の美しい傘がひらいた。平和のよさをつくづく感じた。」

と『自選自解』で記しています。

この旅は昭和22年、戦後初めての旅行だったそうです。まだ戦争が終わったばかりで、混乱した時代に見た花火は、ただの花火以上に作者に深い感慨を与えたと思われます。外でドンパチ聞こえても怯えなくていい、戦争ではない用途に火薬を使える…旅先の非日常のワンシーンから、戦争という非常事態が終わって少しずつ日常が戻ってきたことを実感したのだと思います。